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登園渋りの娘へ。夫婦で出した最適解。

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「ずっと冬休みが続いていたら良かったのに…」

冬休みが終わり、登園初日から再開した娘の登園渋り。

そうだそうだ、冬休み前は毎朝幼稚園に行くか行かないかの問答に精神がすり減っていたんだった。

冬休み中の当たり前のように休んでいい状況があまりに心地よかったから、登園渋りのことなんて忘れていたや。

あぁ…また始まった。

ほんともーやだ。

始まりの記事はこちら
目次

今日も夫と説得を試みるも…

園バスに乗るまでに15分しかない。息子も乗せなきゃいけないのに、正直悠長に説得している暇はない。それでも、それでも、今出来る最善の穏やかさをもって幼稚園で起こるだろう楽しいことやワクワクすることを提示し、少しでも「行ってみようかな」と思ってもらえるように夫婦で言葉をかける。

でも頑なに首を横に振り続ける。

イヤ。の連発。

涙目になる娘。

迫る時間。

イライラしだす私と夫…

「もう無理だ!間に合わない!」

娘を夫に託し、息子を連れて猛ダッシュでバス停に向かった。

苛立ちが溶けて感じるもの

どうにかこうにか園バスに間に合い、息子が幼稚園へと行った。

上がった息を整えるように、ゆっくりと自転車を漕ぎ家へと帰る。

朝の風は冷たく頬に突き刺さる。

苛立ちとストレスに完全に囚われていた私が少しづつほぐれていく。

ほぐれて残った気持ちは「娘への対応、これで良かったのかな…」。

家に帰ると娘は小さい体をより小さくして隅っこでパズルをしていた。

娘を見てまた湧き上がってしまった苛立ちの炎ゆえ、声を掛けたくないと思ってしまった。

脱衣所にいた夫。娘に話を聞かれぬよう扉を閉めて二人で話し合うことにした。

夫と対応について話し合う

夫もさっきまでの対応に、これで良かったのだろうか感を感じていた。

そしてシュンとする娘の姿を見て、幼稚園に行きたくないといった事への申し訳なさ?罪悪感?反省?そんな類の物を娘も感じているんじゃないかと思ったようだった。

夫婦共々感じることは娘の登園したくない理由がよく分からないから、ただ行きたくないだけ、家にいたいだけ、なんじゃないかと思ってしまう。これを続けていったら、嫌なものでも頑張る、とか最後までやり抜く力みたいなものが育たないんじゃないかと危惧していた。

それでも、はっきりとした理由が私達には分からなくても何かあるのは確かで、涙目になりながら行きたくないと訴える娘を無理やり行かせるのは私達も躊躇するところがあった。

結局のところ幼稚園に行って欲しいという思いの根底には、いない時間に自分時間を過ごせる。気兼ねなく仕事ができる。そんな側面があるのも事実。はっきり言って幼稚園に行っててくれた方が都合が良いのだ。こういう本音を取り繕うために最後までやり抜く力とか頑張る力とかそれっぽい言葉を並べているのかも…。二人で話していてそんな思いに気付き始めた。

娘は決して頑張ってない訳じゃない

「娘は決して頑張ってない訳ではないよね。頑張りたい方向が学校じゃなかっただけなんじゃないかな?」

夫が切り出した。

ハッとした。

そうだよね、確かにそうだよね。

娘は今日は休むけど明日は頑張ると言って、次の日は言葉通り頑張って幼稚園に行けたりする。幼稚園の授業は嫌だけど、習い事のプールや英語はとても意欲的である。娘は幼稚園に行きたがらないからといって、決して頑張ってない訳ではなかった。

当たり前のレールを外れる怖さ

私も夫も不登校の経験はなく、当たり前のように学校に通っていた。なんなら皆勤賞を貰うぐらいだった。

学校に通うことで得られる素晴らしい仲間や経験の価値を知っている。そして、この先長く続く「当たり前のレール」を歩くことが一般的であり、進学や就職などのしやすさ、「普通」の生活を送れる無難さ、選択肢の多さを知っている。逆にそのレールから外れることで大変さや苦労・苦悩に直面するだろうということも感じている。

結局のところ、無難に普通に想像できるレールの上を歩いていってくれることに安心感を感じているんだと思う。

でもこれは親が安心できる子供の生き方。

娘が笑顔で自分らしく生きられる生き方って何なんだろう。

私達は娘にどんな風に育って欲しいんだろう。

どんなことをしてあげられるんだろう。

娘が頑張りたいと思える環境を増やしてあげたい 

「今、幼稚園に行かないからって、この先も行かないとは限らないよね。年中さんになったら変わるかもしれないし、小学校に行ったら変わるかもしれない。どんな出会いやきっかけがあるか分からないし、今は娘が心地よかったり、頑張りたいと思えるような世界を見せてあげるのがいいかもしれないね」

【無理に幼稚園に行かせなくても良い】。夫婦でお互いそう思えるような着地点が見えてきた。

登園させることに固執するのではなく、娘が興味ある英語を体験できる場所に連れて行くのもいいかもねなんて話したりもした。

なんだかスーッと心が軽くなった。

夫も私も登園渋りをする娘にどんな対応をすればいいのか困惑していたんだと思う。どんな対応が我が家の最適解なのか分からなかったのだと思う。

そういう時って、「今」に囚われがちで思考が固くなってしまうけど、もっと遠い視点で「どんな大人になって欲しいか」「どんな風に育ってほしいか」そんな視点で考えると意外とすんなり方向性が見えたりもする。

幸せなことに夫婦そろってこの問題に当事者意識をもって取り組み、お互いがしっくりくる最適解を見出せた。たぶん夫が無関心で私一人だけ当事者意識を持っていたら苦しくて出口の見えないストレスに侵されていたと思う。ほんとありがたい。

さかなクンのお母さんに思いを馳せる…

しかしながらです。この方針は心が弱っている時にまた「なんで行ってくれないの…?」と思ってしまうだろうとも容易に予測ができた。たぶん簡単に揺らいでは夫婦の会話を思い出し、自分の軸を立て直すことになるのでしょう。当たり前を変えるのはそんな簡単な事じゃないもの。

「さかなクンのお母さんはどんな思いで彼を育てていたんだろうな」

私は過去にさかなクンの育ったエピソードをいくつか聞いたことがあり、

  • タコ好きのさかなクンに付き合って開園から閉館まで水族館のタコ水槽の前で一緒に過ごした
  • タコ好きのさかなクンのために1ヶ月ほど毎日タコ料理を出してくれた。
  • 絵ばっかり描いてないで勉強させてくださいと先生から言われても「絵を描くことが好きなんです。だからそれでいいんです」と言った。

こんなお母さんになりたいと思っていた。

でも実際に子育てをしてみて、同じようにすることの大変さや難しさを痛感している。

「さかなクンのお母さんなら今の娘の状況をどう対応するんだろう」

だからこそ、もっと知りたい!そんな気持ちでさかなクンの自叙伝を買いに走った。

そこには さかなクンのお母さんの大きな大きな愛情と信頼と尊重が詰め込まれていました。

長くなってしまったので、次の記事にしようと思います。

続きはこちらから…
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